キリスト教放送局FEBC番組 恵子の郵便ポスト

2008年06月09日

僕の心も渇いているのかも…

男性の方からこのようなメールをいただきました。

日々、聖書のみ言葉を心の糧とし、
インターネットでFEBCの放送を聴き、学びを深めています。

聖書は、もう本当に長い年月、読み続けてきました。
同時に仏陀の教えや、孔子の教えなども独学で学び、
日々の生活に生かすように努力してきました。

40歳の半ばで転職を余儀なくされ、収入がだいぶ減ってしまってからは、
ますます精神的なものを求める気持ちが強くなり、
去年、FEBCのヨハネによる福音書の聖書通信講座を受講しました。

自分なりに聖書のことはわかっているという傲慢さがあったのでしょう、
じっくりと学ぶというよりも、かなりハイペースで流すように学んでしまいました。

しかし、知識は増えても、まだ受洗には到っていない自分を思うとき、
まだ自分には神からの召命と言いますか、選びがないのではないかと不安になることもあります。
知識をいくら積み重ねても、
それが信仰にまで昇華されなければ空しいものだと思うようになりました。

かろうじてワーキングプアではないものの、
家のローンを払ってしまえば食べるのが精一杯という日々の中で聴くFEBCの放送と、聖書の学びとが、
今はとてもありがたく思えます。
収入が少なくなってみると、
独身であることが、むしろありがたくさえ思えます。

自由に使えるお金が少ない僕の趣味は散歩で、
夏などは、ペットボトルに水を入れて凍らせたものと聖書とをナップサックに入れ、
野山をよく歩きました。
氷が少しずつ溶け出して、かなり長い時間、冷たい水を飲むことができます。
汗をかいたあと、乾いた体に染みこむように水が体の中に入ってきます。
そしてみ言葉を求める僕の心も、もしかしたら乾いているのかもしれません。

冷たい水を飲みながら野山で聖書を開く一人の時間。
僕はそのような時、とても豊かな時間の中を生きているのを感じます。

今は、ルカによる福音書の聖書通信講座を再開しましたが、
簡単に読み進めることができず、とても時間がかかってしまいます。
でも、それでよいのだと思います。

主よ、どうか、聖書をわかったような気になっている僕の心を砕いてください。
そう祈りながら、丹念に、み言葉を学んでいきたいと思います。
ただもう僕も人生の折り返し地点を過ぎているので、
そうのんびりしてもいられませんが。


post_haru_think.jpg40歳半ばを過ぎて転職を余儀なくされて、
恐らく収入が減っただけでなく、
新しい仕事、新しい環境、そしてそこで人との関係を作っていくのは
本当に大変なことでいらしたと・・・

postlink_kikuo.gif(約10分)
posted by FEBC staff at 09:35 | TrackBack(0) | 恵子の郵便ポスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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