キリスト教放送局FEBC番組 恵子の郵便ポスト

2008年06月11日

願うことが苦手な自分がいます

女性の方からいただいたメールです。

私は願いを祈るということをあまりしていません。
今の生活が平穏無事に過ぎているからかもしれないけれど、
自分の力で生きていけると思っているからなのでしょう。

また、願いを祈るということに抵抗を感じるときがあります。
それは、御利益的に祈っている自分の姿をどこかに感じているからなのかもしれません。
また、願うという行為が、結局は
自分の欲を満たそうとしていることのように思えてしまうからなのかもしれません。
願うことが苦手な自分がいます

「主よ」と叫び続ける。
そこに信仰のダイナミズムを感じます。
自分の願いがそのまま実現されるかは別としても、
主は必ず応えてくださるという信頼をもって、
私も主に向かって叫び続けられたらと思います。

「願いを祈る」ということは、
実はイエス様に向かっていく行為であるということ。

ここまで書いてきて気付きました。
「願い」とは、「病気を治してください」とか「もっと生活を楽にしてください」とか、
欠乏を満たすために祈るのではないということ。
自分を差し出し、イエス様に向かっていく信仰の歩みであるということ。


post_haru_gatten.jpg「主よ」と呼び続け、イエス様に向かっていく行為そのものが
願い祈ることなんですね!
本当にそうなんですね・・・

postlink_kikuo.gif(約10分)
posted by FEBC staff at 08:58 | TrackBack(0) | 恵子の郵便ポスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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