聖書通信講座を受講してくださっている40代の男性の方からいただいたメールをご紹介します。
テキストに書いてあるとおり、ヨハネ福音書9章は数え切れないほどの課題が含まれているように私も思いました。
その冒頭の、先天的な不幸、障害について、
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」
と言い切っているところから、圧倒されてしまいました。
私は、父が鬱病であったこと、母が異常な教育熱心かつ過保護過干渉であったこと、
そして自分も鬱病と診断されたこと等を大変な不幸と考え、
自己憐憫から現実逃避をし、
あたかもベテスダの池の男のような状態になっていました。
自らが精神科に通い、薬を飲む境遇に、諦めと絶望を感じつつ、
それを無理に誤魔化そうと虚勢を張りながら働いてもいました。
混乱、絶望、自己憐憫、死んでしまいたい、消えてなくなりたい、
そんな本音を抱えながら、誤魔化しながら働く日々を過ごしていました。
ですが、聖書を読むにつれ、私の罪とは何であるのか、
見えていないのに「見える」と自分に言い張っていたものが何であるのか、
少しずつわかってきたような気がしています。
いえ、まだまだほんの少しです。
ただ、自分が如何に罪深い人生を送ってきたか、罪深い存在であったか、
その雰囲気だけはしっかりわかってきたように思います。
まだまだ信仰には程遠いですが聖書を読み続けていこうと強く思うようになりました。
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」この言葉に圧倒されたとお書きくださいました。
それは、「これは私のことだ!」
そういう思いをもってこの言葉をお聴きになったからではないかと感じました。
これまであなた様を圧倒し、支配してきた事柄、
お父様のご病気、お母様の過保護過干渉、
ご自分らしく伸び伸びと成長することができなかった・・・
そのあなたに、主イエス様は問うていらっしゃいます。・・・


番組パーソナリティの吉崎恵子です。皆様からのお便りに声のお返事をしてもう35年くらいでしょうか。あなたからのお便りもお待ちしています!

