キリスト教放送局FEBC番組 恵子の郵便ポスト

2008年06月30日

大切な友を主のもとに送りました

(番組「FEBC TODAY」より)

ついこの間、安否を問いつつ、お誕生日のメールを差し上げた友人。
お返事に、「賞味期限は過ぎましたが、まだ大丈夫のようです。
正直、誕生日を迎えられるとは思ってもみませんでした。
入退院を繰り返しながらですが、
この間、墜落して壊れてしまったヘリコプターを、孫のためにメンテナンスしておかなければ…
とこんなところです。」と彼らしい返信をいただきました。

なのに・・・。

昨夜、悲しい知らせをいただきました。
また一人、私より若い大切な友を主のもとに送りました。

彼はなんとおだやかに、神様にまったくより頼んで
この1年を過ごされ、主のもとに召されたことか。
温かいご家族の愛に包まれて幸せに歩まれたことか。

しばらく、この信仰の友を偲び、
神様により頼んで死を迎えることの幸いを思い巡らしています。

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(約7分)
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洗礼を考えている私にとって

聖書通信講座を受講してくださっている60代の女性の方から
このようにメールをいただきました。

マタイ7章

1節 「人を裁くな。あなた方も裁かれないようにするためである。」
自分の目の中の丸太が本当に見えていなかったです。
自分の秤で人を量っていました。
生活態度も、仕事、考え方など、本当に私が中心であり
私の秤は丸太も見えぬいい加減のものです。

7節「求めなさい そうすれば 与えられる」
何気なく使っていた「求める者は救われる」の本当の意味が解りました。
私には天の父が「求めなさい あなたに充分の愛をあげよう」と言ってくださるんですね。
安心して主イエスと父なる神様に祈ります。

13節「狭い門から入りなさい」
入るのに困難なもののたとえとして狭き門を使ってきました。
狭い門とは一つしかないのですね。
洗礼を考えている私にとって、狭い門をしっかり見極めて入って行きたいと思います。


post_haru_gatten.jpg私ね、あなた様が最初にメールをくださってから今までのことを思い出して、
あぁ、なんと神様はお一人おひとりに親しく語りかけ、
ご自身の御心をつまびらかにお見せくださり・・・

postlink_kikuo.gif(約10分)
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2008年06月26日

「物語」ではなく、事実が…

聖書通信講座を受講してくださっている男性の方から、
メールでこのようにいただきました。

ヨハネによる福音書1章〜3章

仕事で悩みを抱えている時に、
何か心の支えを探す為に宗教の本を読んでいる中で、日本FEBCを知り、聖書通信講座を知り、
すぐに申し込んだものの、なかなか判らなく半年が過ぎました。

聖書の該当する章とガイドを何回も読み、広田先生の番組を聴き、
ようやくレポートを書いてみようと思えるようになりました。

はじめに、「言」の意味が最初全くわかりませんでした。
ここで相当つまずいて、
何で聖書通信講座はこんな難しい福音書からはじめるのかなと思った程でした。

ガイドを読んだり、広田先生の教会のホームページの説教集を読んだりしながら、
言と神とイエス・キリストが結びついてくるようになりました。
「主イエス・キリストの御名によって祈ります」
という祈りの言葉がわかったように思います。

聖書とガイドを繰り返し読む中で、
「聖書」を物語として読むのではなく、
聖書には事実が書かれてあって、
その歴史上の出来事は、事実であるがゆえに存在する
という考え方で読めるようになってきたように思います。

亡くなった父親が仏教で祭られており、
もし家族の中で自分一人だけがキリスト教徒になったら、
自分が死んでから家族などに天国で会えるのかなどと素朴な疑問があります。
しかし読み続けることでわかってくるものと考えますので、
是非次のガイドを送っていただきたくお願いいたします。


post_haru_laugh.jpgそう書いてくださって本当にありがとうございます。

お仕事の悩みを抱えて、
ご自分の心の支えになるものを探し求めておられたとのこと。
そういうなかでFEBCを知ってくださったのですね。

あなた様が、何かご自分の支えになるものを探していらした、
それはまさに、あなた様の祈りにならない切なる祈りでいらしたと…

postlink_kikuo.gif(約10分)
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2008年06月25日

なぜ今それを言う?この子を通して誰かが?

男性の方からこのようなメールをいただきました。

1月半程、「なんか疲れました」「死にたい」というため息ばかりでした。
そんな中FEBCの放送は救いでした。
特に郵便ポストの前奏を聴くと心底ほっとしました。
広田牧師の語りに励まされました。

郵便ポストに寄せられる、苦しみ、祈り、救いの数々。
それを深く受け止め、喜んでくださる吉崎さんの声。
なるほどと思ったり、共感したり、羨ましく、妬ましくさえ思われますが、
その方が救われてほんとうによかったと思いながら聴いています。

なんか調子が出てきたかなと思った頃、
「愛がなければ、全ては虚しい」ということばが深く胸に刺さり、
がっかりして、眠りにくかった日がありました。
とにかく自分の元気を絞り出すことだけに必死で、
人のことなど考えなかったと。

その翌日か翌々日、一緒に風呂に入っていた娘が両手を本のようにして言いました。
「今月の聖句教えてあげようか。
めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさいっていうんだよ。」

なぜ今それを言う?
この子を通して誰かが言わせたかと思えるくらい驚きました。

ため息はまだ続きますが、あまりそればかりにとらわれなくなった気がしています。
まあとにかく、来てみなさいと言われているような、いないような感じですが、
床を担いでとぼとぼ歩いているような日々です。
毎日の放送はほんとうに助かっています。



post_haru_cry.jpgもっと頑張らなければ、家族のために、自分のために…と思っても、
力が萎えて、こんな自分は役立たずだ、生きててもしょうがない
って思えるような日々でいらしたのですね。
どんなに辛く、どんなに不甲斐なく、
世の中にあってはご自分が阻害されているようなお気持ちでいらしたのかなぁと思いました。

その時に、このFEBCの放送が救いでしたと書いてくださり、
あなた様のためだけでも、
このFEBCが放送されていることに意味があるんだなって思って…

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(約10分)
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2008年06月24日

私は、今逃げたいのです

聖書通信講座でマタイによる福音書を受講してくださっている女性の方からのメールです。

マタイによる福音書13章から14章をお送りいただきましてありがとうございました。

イエス様の宣教は、神に心を素直に開く幼子のような人にあらわされ、
智恵のあるものや賢い者には隠された謎の言葉になる、と・・・。

私は、賢くもなく、智恵もないのに、
幼子のように心が素直でないばかりに
イエス様が「恐れるな」と言ってくださっているのがわかりません。
恐れるほどのことでもないのに、自分が胃潰瘍になるほど恐れ、
憐れみを求めている人を拒否しています。
傷つけているかもしれません。
受け入れられないのです。

最近は、助けを求められる度にどうにかして逃げたいと思う自分がいます。
最後まで責任が持てないのです。
年をとってきたのでしょうか?

私は、今逃げたいのです。
私は頭の中で大変な事を想像しただけで疲れてしまったのです。

こんな私を神様はどう思われるでしょうか?
こんな時こそ、イエス様にゆだねてお祈りします。
おまかせいたします。そしてお赦しくださいと…。


post_haru_cry.jpgあなた様に申し上げたいです。
あなた様は既にじゅうぶん、痛みを引き受けていらっしゃいます。
私たち一人ひとりは、弱い人間で、限界があります。
その限界を超えて引き受けると、つぶれます。
だから、もうこれ以上無理な時は、逃げてください。

私も実は逃げることがしばしばあって、
本当に自分が情けない人間だって、しょっちゅう思います。…

postlink_kikuo.gif(約10分)
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2008年06月23日

神様に祈ってますが、幸せになれません

40代の女性の方から、携帯からメールをいただきました。

私は42歳独身女性です。
寂しさ、孤独感や、今後の人生の不安でいっぱいです。
本当に親しい人はいません。
もう生きてくのが嫌になります。

こんなに年をとってしまい、家から外に出るのも嫌になります。
生きてることが辛くて仕方ありません。

神様に祈ってますが幸せになれません。
幸せになる方法を教えてください。

辛いときばかりFEBCにメールしたくなります。
スミマセン。


post_haru_pray.jpg辛い時に、FEBCがある!って思い出してくださって、
むしろありがとうございます。

あなた様のメールは、神様への「助けて!」という叫びで、
私たちもそれを聴かせていただきました。
そして、神様もお聴きくださっています。・・・

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(約10分)
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2008年06月20日

一週間が終わろうとしています

(番組「FEBC TODAY」より)

今週も一週間が終わろうとしています。
「なんとかここまで漕ぎ着けた〜」と、ため息をついていらっしゃるでしょうか。
何のやる気も起こらずに一日が過ぎようとして、
その一日が永遠のようにお感じになられた一週間でしたでしょうか。

苦しみの渦中にいらっしゃるお一人おひとりを
神様の永遠の御腕が下からお支えくださいますように。
神様の祝福が、逆境に逆らって豊かにありますように。

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(約7分)
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2008年06月19日

責めるより感謝の気持ちが…

聖書通信講座ヨハネによる福音書を申し込んでくださった
30代の女性の方からのメールです。

少し前の『恵子の郵便ポスト』の「毎日人を裁いて」を聞かせていただきました。
涙が止まりませんでした。
まさに私のことだったのです。

昨年末から近隣の方ともめていることがあり、
私はずっとその人を責め、問題を理解できない夫・友人を責め、
責めている自分を責めていました。
自分の心を静める術が見つからず、ただ祈るしかありませんでした。
そうしたら、こちらのホームページと出会えたのです。

「わたしもあなたを罪に定めない」という言葉は大変な慰めになりました。
心が静まり冷静になれました。
そしてそれまでの出来事を振り返り、
責めるより感謝の気持ちが持てるようになりました。
吉崎さんの「自分自身をまず許して受け入れる」という言葉も慰めになりました。
そして、こんなに人を責め続けた私でさえ、
このように導いてくださる神様に心から感謝せずにいられません。

聖書はたまに読むだけで、神様のことを何も分からない私ですが、
勉強していけたらと思っています。



post_haru_laugh.jpg私はね、ほんとうにいつも
あぁ、神様は生きていらっしゃる!
あなた様のようなお便りをいただきますと、そう思います。

ご自分でご自分をどうにかしようとしてもどうにもならない。
祈るしかなかった日々だったのですね。・・・

神様があなた様をFEBCに導いてくださったのだなぁ、
そう思いました。
そしてまさにご自分のことが、「恵子の郵便ポスト」にあった。・・・

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全身をもってわたしは呼ぶ

(番組「FEBC TODAY」より)

今日の聖書は詩編119編145〜152節です。
その冒頭で「心を尽くして呼び求めます」とうたいはじめます。

関根正雄訳では「全身をもってわたしは呼ぶ」です。

神に向かって、全身で、心を尽くして求め、呼ばわったことが
どれほどあるだろうか・・・。
私どもがそうでなくても、神様のほうは
全身で、心を尽くして聴いてくださっているというのに・・・。

kiku-gr.gif(約7分)
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2008年06月18日

人生の別の道を歩み始めることが

マタイによる福音書を受講中の女性の方からのメールです。

マタイ福音書2章12節で「他の道を通って帰った」と書かれていますが…。
イエス様を知って今までとは違う人生の道を歩んでいくともとれると感じました。

私にもいろいろな悩みがあります。
主人が浮気をしたり…
同居でイライラさせられたり…
おかげで鬱になり、人を憎み攻撃することでしか自分を支えることができなくなっていました。

しかし…教会に通い、イエス様に出会い、
この困難の意味もわかり始めています。
主のご計画なさることに間違いはないと。

私も主を知ることで人生の別の道を歩み出し始めることができたように思います。


post_haru_clap.jpg素晴らしいですね!
うつになる程に悩み、自分ではもうどうにも解決ができないと思えるようななかで、
教会に行かれて、イエス様に出会ったら・・・

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2008年06月17日

神に栄光を帰するとは?

短いけれどもとても大切なご質問をいただきました。
男性の方からです。

こんばんは。
聖書にある「神に栄光を帰する」とはどういう意味でしょうか?
教えてください。


post_haru_wonder.jpgあなた様はこのご質問を、どうしてFEBCに問いかけてくださったのかな、
このご質問をくださったということは、
この「神に栄光を帰する」ということが、
あなた様にとって、とても心にかかることで、
きっとこれは大事なことだ!って感じていらっしゃるのだと・・・

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2008年06月16日

思い切って主人に「教会へ行きたい」と・・・

60代の女性の方から、このような嬉しいお手紙をいただきました♪

今一番楽しみにしているのは「魂のゆくえ」です。
ある時の放送は、私たちの最期について。
日本人の死生観では、「自然」に戻っていく、自然の流れの中にかき消えていくという思いがある。
しかしそれだけではとても済まされない思いが私たちの心の底にはあるということ。
それを聖書の福音理解では、私たちが誰であるかを神様が知っていて、
一人ひとりの名前を呼んで、とらえて導いてくださるというお話でした。

特に印象に残っているのは「去り行かないお方」の回です。
私は今、病気の主人を支えなければならないのに、
すぐ怒ったり、冷たかったり、もう鬼のような私だといつも思うのです。
改めようと思うのに、どうすることもできなくて、
どうしたらいいのかなぁと思っている時に聴きました。
「サマリア人のたとえ」を取り上げて、
自分では一生懸命であっても限界がある。
結局私たちは過ぎ行かざるを得ない者であると。
私も、これはどうしようもないこと、運命だ、と逃げてしまう者ですが、
そのどうにもならない中で、あきらめに終わってしまわないで、
通り過ぎないお方の恵みにもう一度励まされて、
神様の大きな関わりの中に包まれて、
何か一つでも、少しでも、神様のお役に私を用いてくださいと。
私だけではどうすることもできないと思い知らされている毎日ですが、
そのところに「わたしに任せなさい」と言ってくださる神様が
いつも側におられることを思い、過ごしたいと思いました。

先日、思い切って主人に「教会へ行ってみたいと思うのですが…」と言ってみました。
そうしたらなんと
「何もキリスト教は悪くない!行こうと思うのだったら行ったらいいと言っているだろう」
ですって!
本当にびっくりしてしまいました。今まで聖書や放送について何か言っても、
いつも聞こえない振りをして一言も返事がなかったのですもの。
主人は、「教会」は月一回のお寺参りのようなものと思っていますので、
「毎週行きます」なんて言うとそれこそびっくりしてしまうと思います。
でも私にとってはすごいことでしたので一寸書かせていただきました。
そこで、教会を紹介していただけますでしょうか。
よろしくお願い致します。


post_haru_laugh.jpgご主人様のお口から「行ったらいいだろう。」
そんなふうに言っていただけるとは思いもよらなかった!
その驚きが伝わってきました。
そのようにご主人様のお心が・・・

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2008年06月13日

父に対する確執

女性の方からのお便りです。

毎晩の放送を楽しみにしております。
教会へ定期的に行けない今、
信仰の、そしてキリスト者としての生き方を学ぶ頼みの綱のように思っています。

実はもう何年も、父親に対する確執の思いで苦悩しています。
どうしても父には心から感謝する気持ちになれないのです。

父は母に対して暴力を振るっていました。
私自身、身体的な暴力こそ受けなかったものの
言葉による暴力は再三受け、
心を傷つけられて、今もトラウマとして残っています。


post_haru_cry.jpg「父には心から感謝する気持ちになれない」
そう書いてくださいましたね。
それができない苦しみ・・・
本当にそれは無理からぬことだと思いました。
どうぞ、お父様を許すよりも、もっと、
真の親である父なる神様に、心の内を打ち明けて・・・

postlink_kikuo.gif(約10分)

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2008年06月12日

72歳になり、こんなことでは良くないと

女性の方から、聖書通信仰講座マタイによる福音書のお申込みと、
嬉しいお手紙をいただきました。

私は教会にも行かず、洗礼も受けてはおりません。
亡き弟がクリスチャンでしたので、
亡き両親もクリスチャン葬でした。

その後、私自身の生活が一変致しましたので、
環境が落ち着きのないものになりました。
自分勝手な都合の良い祈り方を今も続けております。

私も72歳になりまして、
こんなことでは良くないと思うようになり、
聖書を理解することが少しでもできたらと
「ティールーム」に申込をする気持ちになりました。


post_haru_read.jpg「通信講座マタイによる福音書と新約聖書をお願いします」
とお書きくださいましたので、お手もとにお送り致しました。
読み始めてくださっていることと思います。

あなた様はもう十年以上前からずっとFEBCを
ご献金をもって支えてくださって、本当に感謝申し上げます。
教会にも行かず、洗礼も受けておられないとおっしゃりながら、
放送を聴いてくださり、月刊誌をお読みくださって、
今日に至っていらっしゃるお方であることを知りました。

亡き弟様がクリスチャンでいらしたとのこと。
弟様の生き様を通して、キリスト教が身近におありになった。
弟様を通して、神様があなた様を招き続けてくださっていたのですね。

そして今72歳になり、
「こんなことでは良くない」そうお思いになられたとのこと。
「弟がクリスチャンだった」ということに留まらず、
ご自身も聖書を手にしてみようという思いに至られていることを本当に嬉しく思います。
神様が「さあ、時が満ちている。わたしのところに来なさい」
とお招きくださったそのお声に、あなた様のお心が動かされた。
そう思いました。

一時期、ご生活が一変されて落ち着きのないものになられたとのこと。
そういうときにあなた様は、お祈りをなさった。
「自分勝手な都合の良い祈り方を今も続けています」と。
その祈りを、神様はどんなに喜んで聴いていてくださることか。

そして、自分が生きていくということより、どなたに生かされているか、
そのことを、聖書から知ることができますように。
聖書は、あなた様への神様の御心が書かれています。
何よりもその一番の要は愛です。
このマタイ福音書をお読みになって、
主ご自身にお出会いになることができますようにお祈り致しております。

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2008年06月11日

願うことが苦手な自分がいます

女性の方からいただいたメールです。

私は願いを祈るということをあまりしていません。
今の生活が平穏無事に過ぎているからかもしれないけれど、
自分の力で生きていけると思っているからなのでしょう。

また、願いを祈るということに抵抗を感じるときがあります。
それは、御利益的に祈っている自分の姿をどこかに感じているからなのかもしれません。
また、願うという行為が、結局は
自分の欲を満たそうとしていることのように思えてしまうからなのかもしれません。
願うことが苦手な自分がいます

「主よ」と叫び続ける。
そこに信仰のダイナミズムを感じます。
自分の願いがそのまま実現されるかは別としても、
主は必ず応えてくださるという信頼をもって、
私も主に向かって叫び続けられたらと思います。

「願いを祈る」ということは、
実はイエス様に向かっていく行為であるということ。

ここまで書いてきて気付きました。
「願い」とは、「病気を治してください」とか「もっと生活を楽にしてください」とか、
欠乏を満たすために祈るのではないということ。
自分を差し出し、イエス様に向かっていく信仰の歩みであるということ。


post_haru_gatten.jpg「主よ」と呼び続け、イエス様に向かっていく行為そのものが
願い祈ることなんですね!
本当にそうなんですね・・・

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2008年06月10日

虚勢を張り、誤摩化しながら過ごしてきたが…


聖書通信講座
を受講してくださっている40代の男性の方からいただいたメールをご紹介します。

テキストに書いてあるとおり、ヨハネ福音書9章は数え切れないほどの課題が含まれているように私も思いました。
その冒頭の、先天的な不幸、障害について、
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」
と言い切っているところから、圧倒されてしまいました。

私は、父が鬱病であったこと、母が異常な教育熱心かつ過保護過干渉であったこと、
そして自分も鬱病と診断されたこと等を大変な不幸と考え、
自己憐憫から現実逃避をし、
あたかもベテスダの池の男のような状態になっていました。

自らが精神科に通い、薬を飲む境遇に、諦めと絶望を感じつつ、
それを無理に誤魔化そうと虚勢を張りながら働いてもいました。
混乱、絶望、自己憐憫、死んでしまいたい、消えてなくなりたい、
そんな本音を抱えながら、誤魔化しながら働く日々を過ごしていました。

ですが、聖書を読むにつれ、私の罪とは何であるのか、
見えていないのに「見える」と自分に言い張っていたものが何であるのか、
少しずつわかってきたような気がしています。
いえ、まだまだほんの少しです。
ただ、自分が如何に罪深い人生を送ってきたか、罪深い存在であったか、
その雰囲気だけはしっかりわかってきたように思います。
まだまだ信仰には程遠いですが聖書を読み続けていこうと強く思うようになりました。


post_haru_pray.jpg「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」
この言葉に圧倒されたとお書きくださいました。
それは、「これは私のことだ!」
そういう思いをもってこの言葉をお聴きになったからではないかと感じました。

これまであなた様を圧倒し、支配してきた事柄、
お父様のご病気、お母様の過保護過干渉、
ご自分らしく伸び伸びと成長することができなかった・・・

そのあなたに、主イエス様は問うていらっしゃいます。・・・

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2008年06月09日

僕の心も渇いているのかも…

男性の方からこのようなメールをいただきました。

日々、聖書のみ言葉を心の糧とし、
インターネットでFEBCの放送を聴き、学びを深めています。

聖書は、もう本当に長い年月、読み続けてきました。
同時に仏陀の教えや、孔子の教えなども独学で学び、
日々の生活に生かすように努力してきました。

40歳の半ばで転職を余儀なくされ、収入がだいぶ減ってしまってからは、
ますます精神的なものを求める気持ちが強くなり、
去年、FEBCのヨハネによる福音書の聖書通信講座を受講しました。

自分なりに聖書のことはわかっているという傲慢さがあったのでしょう、
じっくりと学ぶというよりも、かなりハイペースで流すように学んでしまいました。

しかし、知識は増えても、まだ受洗には到っていない自分を思うとき、
まだ自分には神からの召命と言いますか、選びがないのではないかと不安になることもあります。
知識をいくら積み重ねても、
それが信仰にまで昇華されなければ空しいものだと思うようになりました。

かろうじてワーキングプアではないものの、
家のローンを払ってしまえば食べるのが精一杯という日々の中で聴くFEBCの放送と、聖書の学びとが、
今はとてもありがたく思えます。
収入が少なくなってみると、
独身であることが、むしろありがたくさえ思えます。

自由に使えるお金が少ない僕の趣味は散歩で、
夏などは、ペットボトルに水を入れて凍らせたものと聖書とをナップサックに入れ、
野山をよく歩きました。
氷が少しずつ溶け出して、かなり長い時間、冷たい水を飲むことができます。
汗をかいたあと、乾いた体に染みこむように水が体の中に入ってきます。
そしてみ言葉を求める僕の心も、もしかしたら乾いているのかもしれません。

冷たい水を飲みながら野山で聖書を開く一人の時間。
僕はそのような時、とても豊かな時間の中を生きているのを感じます。

今は、ルカによる福音書の聖書通信講座を再開しましたが、
簡単に読み進めることができず、とても時間がかかってしまいます。
でも、それでよいのだと思います。

主よ、どうか、聖書をわかったような気になっている僕の心を砕いてください。
そう祈りながら、丹念に、み言葉を学んでいきたいと思います。
ただもう僕も人生の折り返し地点を過ぎているので、
そうのんびりしてもいられませんが。


post_haru_think.jpg40歳半ばを過ぎて転職を余儀なくされて、
恐らく収入が減っただけでなく、
新しい仕事、新しい環境、そしてそこで人との関係を作っていくのは
本当に大変なことでいらしたと・・・

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神様の赤ちゃん

(番組「FEBC TODAY」より)

赤ちゃんがお母さんからなーんにも話しかけてもらえないと、
その赤ちゃんは生ける屍のようになってしまいます。
赤ちゃんが笑い、赤ちゃんが全身で喜びを表し足をバタバタさせるのも、
お母さんが繰り返し語りかけるからこそなのです。

私たちは神様の赤ちゃん。
「どうぞ私に語りかけてください。
あなたが語りかけてくださるのを心待ちする私たちです」
と申し上げましょう。

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(約7分)
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2008年06月05日

十分の一を捧げられない

女性の方から、献金について書いてくださったお便りをいただきました。

私は「教会に対して」は、収入の十分の一を捧げられずにいます。
カギカッコで「教会に対して」と書きましたのには理由があります。

私は正社員ではなく、家庭は母子家庭、さらに家族の誰もクリスチャンではありません。
生活費は私ともうひとりの家族で折半、通勤交通費は自己負担、租税公課は給与天引きではありません。
おまけに私は自分の家と教会が結構離れていて(電車とバスを乗り継いで片道2時間強かかります)、
交通費だけで収入の十分の一は軽く越えてしまうのです。
私にとって今通っている教会は本当に恵みに満ちた、感謝な場所、幸いな場所です。

「教会に什一献金を捧げるために教会には通わないでお金だけ送る」というのも、
何と言っていいのか、腑に落ちないというか、
でも、実際のところ、
今の教会に通い続けながら収入の十分の一を捧げようと思ったら
借金して捧げるしかないくらい生活はカツカツだし、
もう何が何だかよくわからなくなってしまいました。

FEBCの皆さんは、什一献金のことをどのようにとらえていらっしゃるか教えていただければ…
でも、それよりも何よりも、
主が私を赦してくださるように祈っていただければ幸いに存じます。


post_haru_think.jpgう〜〜〜ん。
「什一献金」っていうのは旧約聖書の時代に行われていたことで、
それをそのまま現代の私たちの生活にあてはめるのは少し違うように思うんです。…

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2008年06月04日

一人で祈るときは・・・?

女性の方からご質問をいただきました。

聖書の、「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」という言葉ですが、
今、私はからだの状態があまり優れず、
FEBCのインターネット放送を聞くときも聖書日課を読むときも、
いつも一人でお祈りしたり…という状態です。
一人で祈るとき、聖書を読むときには、
神様は私と共にいてくれるのでしょうか?


post_haru_think.jpgお一人でインターネット放送をお聴きになり、聖書日課をお読みになっていらっしゃるあなた様。
「ここにはイエス様は一緒におられないのかなぁ?」って、ふっと寂しくなられたのかなって思いました。

いいえ、とんでもないです!
あなた様は、神を信じる民の一人としてそこにいらっしゃる。
そのことは確かなことです。・・・

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