聖書通信講座ヨハネによる福音書を受講中の女性の方からのメールです。
一昨年クリスマスから、20年ぶりに教会に通うようになり
これまでだれにも語ったことのなかった子ども時代に受けた心の傷を
牧師先生の前で告白しました。
そして昨年4月に受洗。
一昨年の今頃、
悲しくなると強いお酒を飲んでいた孤独な自分からは
とても信じられない今があります。
ところで、聖書を読み、祈りを通じた神様との対話をさせていただく中で、
最近気づかされたことがあります。
私はある小さな出来事から、
子ども時代に受けた、牧師先生と神様に告白して癒されたはずの心の傷が
再びぽっかり開いてしまいそうな心になりました。
そのとき、ヨハネによる福音書15章にあるぶどうの木と枝の関係を、
FEBCの聖書通信講座を通じて御言葉としていただきました。
自分自身がイエス様にしっかり結ばれ、
イエス様から栄養をいただいて、
そして初めて実を結ぶのですね。
私はきっと、受洗してすぐに、
「もうこれで大丈夫」と言って、
イエス様という木から勢いよく飛び降りて、
喜びのあまりに走り出そうとしてしまったのですね。
ところで15章2節に
「わたしに繋がっていながら実を結ばない枝は皆父が取り除かれる」
というところを読み、どきっとしました。
イエス様に繋がっていれば全てが実を結ぶのではないかと思っていたからです。
イエス様と繋がっていながら実を結ぶことができなくなってしまうとは、
具体的にはどのようなことなのでしょうか?
15章7節に
「あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば…」
と書かれていますね。…


番組パーソナリティの吉崎恵子です。皆様からのお便りに声のお返事をしてもう35年くらいでしょうか。あなたからのお便りもお待ちしています!

