このようにメールをいただきました。
それは、何故なのか。
私は1948年生まれの団塊の世代です。
独身です。
小学校のころから足が不自由となり、
現在は装具をつけての歩行、
そして、手にも障害が起こりはじめ、
様々な制約と戦いながらの歩みです。
幸いなことに、82才の父の世話をしながら家事もこなせているので、感謝しています。
経済的には、ぜいたくはできないけれど、
つつましく生活をすればなんとか生きてゆくことはできています。
キリスト者であった祖母の影響で神さまに出会い、
キリスト教大きらいの母も亡くなる1日前に神さまを受け入れ、
そのことがきっかけで父も受洗しました。
このように考えますと、なんと感謝なことでしょうかと頭の中ではわかっていても、
障害があるが故に人生が思わぬ方向に行ってしまった。
どうしてもそのところに行き着くと、
神さまに対して心を閉じてしまうのです。
いえいえ、障害があるが故に神さまに出会い、
そのことの故に神さまを呼び求めつつ歩んできたのではないか。
そのとおり、
でも、心の深いところではいつも神さまに不平不満があり、
今までの様々なつらかったり苦しかったりした経験上、
(もちろん、それらのことは私にとって無駄ではないと受け止めようとしている)
神さまは今度はどんないじわるをされるのだろうかと思うと、
神さまを心から信頼することができません。
このような思いを神さまにぶつけて祈ってもいます。
しかし、魂の深いところで白け鳥が飛んでいます。
しかし、ひとつだけ教えられたことは、
私もユダヤ人と同じで、
自分の経験や過去の出来事の上に信仰生活を築こうとしていることは、間違いありません。
そして、恵子さんが、聖書を書き写すとまた新しい発見があるとおっしゃっていたので、
4章から3節くらいづつ書きはじめました。
4章でのサタンの誘惑、
きっと生涯、この三つの誘惑と戦い続けることになるのでしょう。
「退け、サタン」。
ガイドの中で、主イエスの語りかけを完全に無視し抹殺したい心があると書かれていましたが、
今の私がそれだと思いました。
それを悔い改める心をお与えください、とまず祈ることにします。
お便りありがとうございました。
82歳のお父様を介護なさっていらっしゃるあなた様、
小学生の頃から足がご不自由になり、
今は手も障碍が起き始めて…。
きっと振り返ると、
ほんとうに悔しい思い、切ない思い、悲しい思い、痛い思い、怒り、嫉妬…
その年齢その年齢のところで
ひとこまひとこま、
それらがいつもご自分の障碍と絡み合っていらっしゃる。
そのことがほんとうに痛みでいらっしゃるのですね。
私にはほんとうに想像を絶する、
あなたご自身しか担えない事柄だったことと…


番組パーソナリティの吉崎恵子です。皆様からのお便りに声のお返事をしてもう35年くらいでしょうか。あなたからのお便りもお待ちしています!

